コンビニ人間
著者
村田紗耶香
出版
文春文庫
概要
普通の家に生まれ、普通に愛されて育った古倉恵子は、 子供のころから少し奇妙がられる存在だった。
なんとか「治らないと」と思っていた恵子は、 新しくオープンするコンビニでアルバイトを始めた。
初めは喜んでくれていた家族も、18歳から就職も結婚もせず、執ように同じコンビニで18年間もアルバイトを続ける恵子に だんだんと不安になる。
そんなある日、新人アルバイト白羽が婚活目的でやってきて、再び恵子は「治ろう」とするのだが……
抜粋
コンビニ店員として生まれる前のことは、どこかおぼろげで、鮮明には思い出せない。(11ページ)
この文の後、奇妙がられていた幼少期のエピソードが続く。
「普通」にならなくては、「治らなくては」と思い、両親に心配をかけたくないという気持ちもある。
コンビニ店員として生まれる前は、本当に人間じゃなかったのかもしれないと思うほど奇妙な部分があるのかもしれないが、
そんな「普通」の部分も持っているのである。
自分がどうなのか、よく分からない。
周囲が奇妙に感じているから「普通」ではないのか?
あ、私、異物になっている。
ぼんやりと私は思った。
店を辞めさせられた白羽さんの姿が浮かぶ。次は私の番なのだろうか。
正常な世界はとても強引だから、異物は静かに削除される。まっとうでない人間は処理されていく。(84ページ)
コンビニから排除された異物の白羽。
そんな白羽と自分とを照らし合わせている。
正常な世界(=「ムラ」)は異物を絶対に認めないのだ。
自分たちが生きている社会や学校は、多かれ少なかれ同じ傾向がある。
異物を排除すること自体が「ムラ」に住む「普通」の人間の行いなのだ。
そうか。叱るのは、「こちら側」の人間だと思われているからなんだ。
だから何も問題は起きていないのに「あちら側」にいる姉より、問題だらけでも「こちら側」に姉がいるほうが、妹はずっと嬉しいのだ。
そのほうがずっと妹にとって理解可能な、正常な世界なのだ。(133ページ)
妹は姉に「こちら側」=「正常な世界」=「ムラ」にいてほしい。
姉が排除されるのが嫌だから。
姉の周囲の人に対する言い訳も考えたし、白羽との同棲も喜んだ。
排除されるのが嫌だから。姉になんとか「治って」ほしいのだ。
我々は結局、理解できないものが怖くて、なんでも「こちら側」に入れて考えなければ不安なのかもしれない。
感想
この本は
- 「普通」に疑問を持つ人
- 「ムラ」社会の生きづらさを感じている人
- 自分らしく生きたい人
におすすめできると思います。
「普通」という同調圧力を受けて、なんとか「治ろう」と行動していた恵子。
世の「普通」の人だって、きっと同じ目にあったことがあると思う。
就職して、結婚して、ちゃんとすることが求められる「ムラ」社会の狭量さ。
なんとか異物にならないよう、処理されないよう行動する我々の苦しさを感じました。
ただ、ずっと「治ろう」と頑張っていた恵子が
最後に「普通」であることよりも自分自身に従って「コンビニ店員」であろうとした姿は
奇妙であるかもしれないが、読者に勇気を与えたと思いました。
自分の思うとおりに行動してもよいし、自分の思うことを言ってもいいのだ。
そう感じさせました。
きみはだれかのどうでもいい人
著者
伊藤朱里
出版
小学館文庫
概要
人とわかりあうことは、こんなにも難しい。
税金を滞納する「お客様」に支払いを促すことぉ仕事とする県税事務所の納税担当に、
同期が休職したことで急遽異動させられてきた若手職員の中沢環。
彼女は空気の読めないアルバイト須藤深雪を始めとする周囲の人間関係に気を遣いながら、
かつての出世コースに戻るべく細心の注意を払って働いている―――(第1章「キキララは二十歳まで」)
週に一度の娘との電話を心の支えに、毎日の業務や人間関係を適当に乗り切るベテランパートの田邉陽子。
要領の悪い新米アルバイトや娘と同世代の若い席職員たちのことも、一歩引いて冷めた目で見ていたはずだったが―――(第3章「きみはだれかのどうでもいい人」)
同じ職場で働く、年齢も立場も異なる女性たちの目に映える景色を、4人の視点で描く。
職場で傷ついたことのある人、人を傷つけてしまったことのある人、節操のない社会で働くすべての人へ、迫真の新感覚同僚小説!
抜粋
『高校生と中学生の娘がいる、二児の母です。……がむしゃらに結果を出すことに執心する長女を思うと、生きる上でなにか大事なことを取りこぼしたまま、大人になってしまうのではないかと不安なのです。まだ若いうちに、小さな挫折を期待する私はおかしのでしょうか。』
小銭を出して六十円を入れ、ミルクココアを押そうとした指を、止める。
須藤さんがいつも飲んでいた、三つ。そのボタンを、あたしは虚空でなぞった。
一番上の列、右端にイチゴオーレ。バナナココアは真ん中。その左にクリームラムネ。
右からイチゴ、バナナ、ラムネ。赤、黄色、青。 ―――信号みたいなものを発したほうが、かえって迷惑にならないって。
刺激の強いガムを噛んだときみたいに、急に鼻の奥から涙が突き上げてきた。
そんなことで、こんなことで、気がつくわけないじゃないですか。「あんた、ずっとお母さんを試してたの?」
感想
とにかく生きづらさを感じた。
一生懸命頑張る長女も、器用じゃなくても好きなことを頑張る次女も、不安に思うお母さんも、誰も悪くない。
悪くないのに、誰かを傷つけたり、批判されたり。
とにかく生きづらい。自分が辛くても、周りにはもっと辛い人がいる。
そんなことで、助けを呼ぶ声を上げられない。
その代わりに信号で表していた。
自分が辛いときに、誰かの辛さまで考えなくてもいいのかもしれない。
それでも考えてしまう。生きづらいなあ。怖かった。
職場で辛い目にあっていることを言えなかったのか、気づいてほしかったのか。
母が娘のことを考えているのか、自分のことを考えているのか。
きっと誰でも試すことも、試されることも、気づかないこともあると思う。すべてを通じて、ストレートに伝えられない人間関係の煩わしさや生きづらさが見えた気がする。
自分の今までの視点だけでは発想が出てこない話がたくさんあった。
新しい視点を手にできるいい内容だった。
サクッとわかるビジネス教養 地政学
著者
奥山真司
出版
新星出版社
概要
新型コロナウイルス後、中国がより台頭する!? イギリスにとってEU離脱がチャンスな理由。 アメリカにとって超重要な沖縄基地。本当の世界情勢がわかる! 防衛のプロへも指南、地政学の第一人者が伝授
抜粋
- 歴史上、厳しい環境のハートランドの国は、豊かなリムランドにたびたび侵攻しており、リムランドの国と衝突しています。
つまり、地政学的には、リムランドは「ハートランドのランドパワー」と「周辺のシーパワー」という勢力同士の国際紛争が起こる場所なのです。
冬季には港や海が凍りつき、使えなくなるため、「南方へ進出すること」が地政学的戦略の大原則です。
2014年にロシアは、ウクライナの一部であるクリミアを併合しましたが、これには2つの思惑が見て取れます。
- 1つは「黒海ルート」の防衛。ウクライナ内戦に介入したロシア軍の圧力のなか、クリミアでロシアへの編入をめぐる国民投票が行われ、併合が決定。 クリミアにはセヴァストポリ港という軍港があり、黒海ルート防衛のためにロシアには欠かせない拠点だったのです。
- もう1つがNATO勢力との対立のため。ロシアにとって、ウクライナはNATO勢とのバッファゾーンにしておきたいエリアです。 そのため、ウクライナ国内に影響を持つためにも、クリミアは重要なのです。
感想
地政学とは地理的に衝突が頻発するアジア・中東・ヨーロッパという3大エリアで、
衝突に関係する国のふるまいの研究です。
今回は読んだ中でヨーロッパ(ロシア)について着目しました。
地球上のエリアによって「ハートランド」と「リムランド」に分けることができます。
「ハートランド」とは、文字通りユーラシア大陸の心臓部で、現在のロシアあたりのことです。
「リムランド」は、ユーラシア大陸の海岸線に沿った沿岸部で、温暖で雨量が多く、経済活動が盛んなエリアです。
他国に影響力を持つには「リムランド」の支配が重要です。
ロシアは冬になると海や港が凍る。
厳しい環境のハートランドの国です。
ハートランドの国はリムランドの国に侵攻して衝突します。
凍らない港があるからです。
クリミア併合に見られるように、凍らない港と
NATO(アメリカ等のリムランドの国を中心とした同盟)
からの圧力に対するバッファのために侵攻する。
地政学を知ることで、1つ1つの事件に対する
その時点における、一面的な見方だけでなく、
大局的な各国の思惑や戦略を知ることができる。
それを知れば、日本の戦略やこれからの利益の守り方
日常生活を営む上でも重要です。
それを知ることができる、大切な一冊であった。
夜と霧
著者
出版
概要
〈わたしたちは、おそらくこれまのどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ〉
抜粋
(5ページ)収容所暮らしが何年も続き、あちこちたらい回しにされたあげく一ダースもの収容所で過ごしてきた被収容者はおおむね、生存競争のなかで良心を失い、暴力も仲間から物を盗むことも平気になってしまっていた。そういう者だけが命をつなぐことができたのだ。何千もの幸運な偶然によって、あるいはお望みなら髪の奇跡によってと言ってもいいが、とにかく生きて帰ってきたわたしたちは、みなそのことを知っている。わたしたちはためらわずに言うことができる。いい人は帰ってこなかった、と。
(62ページ)そしてわたしは知り、学んだのだ。愛は生身の人間の存在とほとんど関係なく愛する妻の精神的な存在、つまり(哲学者のいう)「本質(ゾーザイン)」に深くかかわっている、ということを。
(144ページ)人間らしい善意はだれにでもあり、全体として断罪される可能性の高い集団にも、善意の人はいる。境界線は集団を超えて引かれるのだ。
(149ページ)わたしたちは、まさにうれしいとはどういうことか、忘れていた。それは、もう一度学びなおさなければならないなにかになってしまっていた。